御朱印
2016年11月21日
九年庵
明治時代の佐賀の実業家伊丹弥太郎(イタミヤタロウ)の別邸と庭園は、「九年庵」として、平成7年(1995)、国の名勝に指定されました。98坪の別邸は、明治25年(1892)につくられ、庭園は、九州で茶室や築庭において並ぶものなしといわれた名人、久留米のほとり和尚に委託し、明治33年(1900年)から九年の歳月をかけて築いたものです。
別邸は、入母屋葦葺き(イリオモヤヨシブキ)の屋根に杉皮の腰張り(スギカワノコシバリ)の土壁、竹格子の連小窓(レンコマド)や真竹を用いた濡縁など、材質、色感、意匠、構造などのすべてに、細心かつ充分な吟味が加え、茶室と書院の様式を折衷した近代和風の数寄屋建築です。
庭園は、多くのツツジやモミジ、苔など様々な樹木で彩られ四季を通して美しい景色を描き出しています。深い木立は周辺の景観とよく調和し、はるか筑紫野(ちくしの)の広がりと有明海が眺望できる借景庭園となっています。
一般公開
年二回、一週間公開
- 秋の紅葉 毎年11月15日~23日
- 青紅葉 5月
仁比山神社
仁比山神社[山王日吉宮]旧県社
天平元年(聖武天皇)七二九年この地に殿宇を建て都の松尾大社の御分霊を祀り国家安泰 五穀豊穣の勅願所として松尾明神を祀るを創始とする その後承和十一年(八四四年)慈覚大師唐より帰朝の際 国家安泰の祈願の為神水を得る時 土中より日吉宮の額を発見したことを朝廷に奏上す 時の仁明天皇 比叡の神威を感じ勅命を以って 江州坂本日吉宮の御分神を合祀し朝廷の祈願所とする この地を仁明天皇の仁と比叡山の比山とで仁比山という
式年大祭 大御田祭 御田舞
宮中での田楽を平安時代に伝えられたと思われる申年の四月初申までの十三日間執り行われる式年大祭を大田祭という 鎌倉幕府までは勅使下向し盛大に執り行われていたが 以後肥前 筑前 筑後の三ヶ国の国造が交代でやる 藩政時代鍋島藩主 神殿 拝殿その他奉寄進し保護される 大祭中神事として奉納される御田舞は慣習と伝統を守り現在まで口伝として伝えられています 舞台二ヶ所 柱大きさ 数 床板の厚さ 床の高さ 階段 役者の員数年齢 役者決め 稽古始めなど総て慣習を守り引き継いでいます 歌 舞は期間を過ぎたら一切やりません 門外不出です 昭和二十七年国の無形文化財指定されるが二十九年文化財改正により解除 現在佐賀県重要文化財第一号に指定されています
寄贈 神埼ライオンズクラブ(案内板の寄贈)
御祭神
大山咋命
鴨玉依姫神
日本武尊
合祀社祭神二十余神
御由緒
御創建天平元年(729年)聖武天皇の勅願をたまわり殿宇を建立し 松尾明神を勧請し豊饒無窮 国土安泰 の御祈願の宣をせられたるを創始とする 承和十一年(844年)仁明天皇勅命を以って江州坂本の日吉宮の御分神を合祀し朝廷の祈願所となす 当社殿は度々の政変にて焼失するも 当藩祖鍋島直茂公 勝茂公により再建され 明治三年には修理田の日吉宮又村内の無格社と格式高い白角折社を合祀し 仁比山神社となる
古くは農の神 酒の神様と敬われる
中世は医学の神様と敬われる
十二年毎 申年の四月初申より 中申までの十三日間執り行われる
大御田祭には県内 県外より参詣者で賑わいます 期間中に我が国唯一の 格式高い神事芸能の御田舞は民族無形文化財で有名です
春の若葉 秋の紅葉はすばらしく
心を癒してくれます
仁比山神社 社務所
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