御朱印
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八天神社
肥前小富士 唐泉山 八天神社由緒沿革
御祭神
火之迦具突知大神(ひのかぐつちのおおかみ)
建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)
火神の御神系の神神
御由緒
肥前の国の中心なる藤津の里、肥前小富士と稱る唐泉山(四一〇メートル)は、太古の火ノ山、噴火山であり、その山型誠に麗しく神霊鎮まります御山として、山頂に社を営み、神霊の御加護を奉謝し奉った飛鳥時代の中期、白雉四年(西暦六五三年)を以って、仮に御鎮座の年と定められました。
鎌倉時代の初期、貞応元年(西暦一二二二年)山城の国(京都)山崎の産、田村良真が小城晴気に下向し、唐泉山の社を中興し、新に此の地へ下宮を奉斎して唐泉権現・八天狗社として上宮(唐泉山の山頂)下宮の社務を司り、以来その子孫が本光坊と称して、上宮・下宮の宮司家として御奉仕を致しております。
鎌倉時代より江戸時代、後藤氏・千葉氏・松浦氏を始め肥前国一円の国主・領主・諸氏諸侯・鍋島家に至る迄、諸氏を挙げ、火の神八天狗社を尊崇し、社費の支弁をなされ、又各家より寄進されし広大な神領地を保有し、肥前国一円の人々に火の神様、火防の神様として崇敬され、それぞれの里毎に火の神様・八天狗神の御分霊石 及び社がまつられて、火の神様への奉謝のまつりが行われてきました。
江戸時代の前期頃より佐嘉鍋島各家の御屋敷を始め江戸藩邸へ御分霊社の奉斎がなされて以来、江戸町民の人々に毎月・一日・十五日と藩邸内の社へ参拝を許し、火災鎮除・国家安泰・火の用・家内安全の祈念がなされ、町内会毎に火の神まつり講社の結成が画られて、佐嘉鍋島各家の御屋敷周辺町内の火災事故が非常に少なくなり、この事柄が江戸中に広まり、江戸中期頃より後期にかけ、幕府老中を始め、諸国大名旗本等各家も鍋島家を通じて、肥前の火の神・火防の神八天狗神の御分霊、御勧請がなされ、火の神の御護符数千部を藩役所、及び、商人を介して、毎月江戸へ送達されておりました。
明治維新・昭和の対戦と社運も大きな変革がありましたが、定まった氏子区域の無い崇敬神社として、旧肥前国一円(佐賀県・長崎県)及び福岡県西南部地域の皆様方の御崇敬を賜わり、各地に於いて、八天講・火の神まつりが行われ、火の神様火防の神様八天神社として、今日に至っております。
行事
御例祭
十二月 第二の未(ひつじ)ノ日 | 前日(午ノ日)夕刻より前夜祭 火鑚神事・古神札 納・お火たき祭 |
四月二日 | 祈年祭・春まつり |
十一月二十三日 | 新嘗祭・秋まつり |
一月八日 | 祈運祭・年中の多幸を祈願するまつり |
毎月 一日、十五日、未ノ日 | 月なみまつり |
弐年大祭
五十年毎に行われます。
「御鎮座一三五〇年祭」 社務所
次回の大祭は2050年でしょうか?
アクセス
- 肥前鹿島駅より5.4㎞ 11分
- 鹿島バスセンター 2番のりば 吉田線 八天社前下車 19分
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